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ゲームは人を動かす力となるか

 
リーグ・オブ・レジェンド
畠山駿也(Jeni)
   
 


障がい者と健常者が同じフィールドで対等に戦えるのは、eスポーツの持つひとつの大きな可能性だ。岩手eスポーツ協会のメンバーであり、同時に昨年、群馬県で開催された「第1回障がい者eスポーツ大会2019 GUNMA」に、プレーヤーとして出場した畠山駿也氏を取材した。

畠山駿也
 
 

小学生のなりたい職業にユーチューバーがランクインして久しい。子どもたちの憧れの職業は、時代を輝かせるものを反映している。次に来るのは「プロゲーマー」だと読む。eスポーツは台頭している。eスポ元年と呼ばれた2018年の国内市場は48億円を超え、前年の約13倍という驚異的な成長を遂げた。多様性が求められるいま、eスポーツは年齢や性別、言語や国籍、障がいの有無に対する人々の意識を、一気に変える可能性を秘めている。
 
畠山駿也氏を紹介する。1994年生まれ、岩手県紫波町出身。職業はWebデザイナー。指定難病である筋ジストロフィーを患い、小学2年から車いすで生活している。昨年8月、群馬県高崎市で開催された全国初の「障がい者eスポーツ大会」に、岩手からただ1人出場したプレーヤーだ。
 
「たまたま自分がプレーしているゲームタイトルの大会だったので」
 
畠山氏はエントリーのきっかけをこう話す。『リーグ・オブ・レジェンド』。全世界で1億人が熱狂するというPCオンラインゲームだ。略称はLoL。リアルタイムで戦況が変化するRTSとアクションRPGの要素を併せ持つ「MOBA(マルチプレーヤーオンラインバトルアリーナ)」の代表格ともいえるゲームだ。日本では2014年からプロリーグがスタートしている。
 
LoLとの出会いは7年前。オンライン格闘ゲームで知り合った友だちからすすめられ、そのとき一緒にゲームをやっていた仲間みんなで始めた。「それまではストリートファイターのような1対1の対戦ゲームをやっていて、1人で戦って1人で強くなってという遊び方ばかりしていた」と畠山氏。誰かと協力して何かをやり遂げる、ということを経験したことがなかった。
 
「それをLoLで初めて経験したんです」
 
それ、とはつまりチームプレーだ。「みんなと同じようにスポーツができるなら、バスケやバレーなどで自分もそれなりに、団体競技の楽しさを知ることができたと思う。だけどそういったみんなでやるスポーツをやったこともなく、1人で完結することが多かった」
 
LoLを通じてみんなで戦うことの楽しみを初めて知ったという。それは昔から自分がやってみたいことだった。誰かと協力して勝つこと。勝って、みんなで喜ぶこと。「LoLの魅力はそこにある」と畠山氏は語る。


 
 

畠山駿也2

 
 

ゲームについて説明しよう。LoLは1チーム5人で構成された「レッド」と「ブルー」2つのチームが、それぞれに「ネクサス」と呼ばれる敵の本拠地を破壊するゲームだ。プレーヤーは「チャンピオン」と呼ばれるキャラクターの中から1体を選び、5人で力を合わせて戦いに挑む。
 
「およそ150体あるチャンピオンはそれぞれに異なる特性を持っていて、たとえば一撃で敵を仕留めるのが得意なキャラ、体が丈夫で仲間を守ることに長けたキャラ、あるいは相手の行動を阻害するのに特化したキャラというように役割がある。ゲームはみんなで協力して戦わなければならないので、対戦するときはチームの構成を考えながらチャンピオンを選びます。バスケのポジションを決めるのと同じです」
 
Jeni(ジェニ)という名前でプレーしているという。ネットで検索すれば出てくるか?の問いには、「全然!」と笑いながら首を振る。現在のティア(階級)はゴールド。中堅クラスの腕前といったところか。よく使うチャンピオンはレネクトン。1対1の殴り合いが得意なワニのキャラクターだ。瀕死の仲間を助けに来させることで、相手の守りを手薄にさせるという戦略が気に入っている。
 
大会本番でもレネクトンは活躍しただろうか。「残念ながら使用禁止キャラに選ばれてしまい使うことができなかった」と畠山氏。LoLの試合では相手チームに対して各チーム5体ずつ使用禁止のチャンピオンを選ぶことができる。その5体の中にレネクトンをはじめ自分が得意とするチャンピオンをすべて入れられてしまったそうだ。仕方なく選んだのがニーコ。
 
「もう第何希望でもないですよ(笑)。どのチャンピオンを使っていいかわからなくなってとにかく何か選ばなきゃ的に選んだのがニーコだった」
 
ニーコは擬態を得意とするチャンピオンだ。味方のチャンピオンに変装し敵を混乱させたところで奇襲をかけるという戦略に長けている。とはいえ、畠山氏にとっては扱い馴れていないチャンピオンである。おまけに普段はトップレーンでの1対1の戦いを得意としている畠山氏だが、このとき任されたのは中央のミッドレーン。花形的なポジションであるが、決して得意なレーンではない。
 
「普段どおりの力を発揮することができなかった」と振り返る。結果は一回戦敗退。チーム内のコミュニケーションが上手く取れなかったのも敗因と語る。「初心者が多いチームだったため、いまにして思えばプレー年数では年長者となる自分が、みんなをまとめて上手く引っ張っていく必要があった」

 
 
畠山駿也3
 
 

今大会への参加者は20人。1チーム5人と考えれば、わずか4チームでの対戦である。しかし畠山氏はこう話す。「それでも全国から20人の障がい者が集まったのはすごいこと。遠くから参加するということは、それだけこのゲームが好きだということだから」
 
いうまでもなく畠山氏自身も遠方から参加したプレーヤーの1人だ。交通手段は新幹線。1人では当然、電車に乗ることができない。「参加にあたっては地元のヘルパーさんに同行を依頼しました。並行して大会当日は現地のヘルパーさんにもサポートをお願いした」
 
ヘルパーの手配はすべて自分で行う。新幹線の乗車券も自身で手配する。「普段から人にものを頼むという方法で自分の生活を成立させているので、こういった手配とか依頼は慣れている」と語る。畠山氏同様、参加者はみなヘルパーなど人の手を借りて現地入りしたことだろう。あるいはまた人の手を借りなければならないから参加を諦めたプレーヤーもいるかもしれない。彼ら一人ひとりが会場に入るまでの道程を考えれば、畠山氏のいうとおり20人という参加者は決して少ない数ではない。彼らを動かす力となったのが、ゲームであり、LoLである。
 
ゲームを通じて得たものは?との質問に、畠山氏は「仕事」「仲間」「生きがい」の3つを挙げた。Webデザインの仕事はPCで行う。しかしゲームをやっていなければ、そもそもPCに触れることもなかったという。現在の仕事は独学でコーディングを学び、少しずつ力をつけて得た仕事だ。
 
一番つきあいの長い友だちは、中学生のころにゲームを通じて知り合った。中学卒業後、養護学校には進まず普通高校に進学したのは、ゲーム仲間の後押しもあったという。同い年の友だちとはテレビ電話で一緒に受験勉強をした。大人になったいまもつきあいは続いている。去年の冬はLoLの仲間たちと東京で忘年会を開いたという。
 
そして生きがい。「自分の病気はどんどん進行していく病気で、できることが毎日少しずつ減っていく。一方、できなかったことができるようになるのがゲームだ。練習して技術をつけて、わからなければ調べて、知識をつけてそれを繰り返しているとどんどん上手くなる。できることが少ない環境にいるからこそ、ゲームを通じて自己肯定感を得ている部分は多分にあると思う」
 
そう語った畠山氏に、最後にこの質問を投げた。LoLをプレーする上で、健常者との差はあるか?「ないと思う」と畠山氏は答えた。「自分みたいに身体障がいを抱えている人間でも、工夫次第でいくらでも強くなれる。だから少なくとも、自分に関してはない」と、今度は断言する。障がいのある人もない人も、同じフィールドで戦える日が、もうすでにやって来ている。


(2020.10.13)
 
 


SHUNYA HATAKEYAMA◉1994年生まれ、岩手県紫波町出身。リーグ・オブ・レジェンドプレーヤー。筋ジストロフィーの障がいを持つ。2019年8月に群馬県高崎市で開催された全国初の「障がい者eスポーツ大会」に出場。IeSA(岩手eスポーツ協会)のメンバーとして、eスポーツの普及活動に積極的に取り組むとともに、身体障害児のeスポーツデバイス支援相談、自宅のIoT化の相談なども受けている。職業はWebデザイナー。Twitterのアカウント→@jenixo0


 
 

畠山駿也4
 
 
 

撮影◉大谷広樹/文◉和野史枝(山口北州印刷)/取材協力◉IeSA(岩手eスポーツ協会)
 

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